2008年10月05日 (日)
援助する立場であっても、また一個人としての立場であっても、通じる理屈、通じない理屈があります。
自分の仕事は、常識を伝えることが仕事の1つになってますが、自分の持っている理屈が通じないときが多々あります。それは言い方が悪かったり、相手の理解度にあった説明でなかったり、ということもありますが、それ以前に相手の理屈、考え方をまずは聞く姿勢が大事だなって思ってます。
他方、1人の人間としての自分は、社会人になってから社会の常識に苦しみました、困惑したという言い方の方が正しいかな。それまでの高校・大学の勉強では自分のやり方で覚えればokだったことが、自分のやり方を通せない社会人になって、人間関係の距離だとか、常識的なことであえて人に言われることじゃないこととか。けっこうそういうのがわからなくて、苦しみましたよね。
人間関係については、昔からありましたが、当たって砕けろ的な性格なので、学生時代の一人旅でだいぶ鍛えた分、うつになったとはいえ、自然な距離を作れるようになったと思う。
それでも、周りの人にとっては、自分には足りない部分が多いと感じているだろう。今まで職場を変えた経験はあって、たいてい最初の印象はいいんですよね。新しいことには興味が強いし態度は真面目だから。だけども慣れてくると成長の伸びがなくなって、もっとできると思っていたのにできないので、いろいろと言われる。それで自分のペースを乱されて、悩んでしまう。
周りの人は尚更いろいろ言ってみる、結局それがプレッシャーになり、辞めてしまったことがあった。
人から言われるいろいろな理屈というのは、はっきりいってわかるんですよね。わかっているんだけどできなくて、自分でも悩んでいるからへこむ。それでもアドバイスをくれるけど、結局は自分のペースで覚えるのが一番近道ではある。だけども、周りがそれを許してくれるとは限らない。
そんな自分に対しお前みたいな奴は嫌いだってはっきり言われたことは今でもはっきり覚えていますよ。
そんな自分が援助する立場として言えることは、まずその人の理屈を受け入れることがはじまりだと思います。その人のやり方、考え方を聞く姿勢を持つことですよね。
この段階で安易にその人の考えを否定して、例え正しいことでも自分の意見を押しつけてしまっても、聞く耳もたずが多いと思います。または聞いたふりして結局やらないとか。
その人が、常識とか、考え方とか、行動を変えるのは本人なんですから、最終的には本人に決断を委ねるようしていきたいですね。
最近目の不自由な人が利用者として来て、接するようになりました。実際仕事として接するのは実は初めてです。駅で困ってそうだなーっと思って、声をかけたことが数回あるぐらいで。
知識として、盲人のことはわかっているのですが、それでも間がわからないというのかな、確かめたしかめ、本人に聞きながら援助しています。
その人のやり方、というのを崩したくない、崩すならそれなりの理由が必要なはずなので。
知的障がいの人も、考え方というところで拘りが多いので、その人のやり方を変えるのはそれなりの理由が必要なはず。安易に否定してしまうと、反発するだけなので、どうしてそういう考えをするのか、行動をするのか、から考えないと根本的な解決にはならないですよね。
自分の話に戻りますけど、理屈はわかっているんですよ。だから間違いしたら謝るしかないと思ってます、逆ギレするのは余程ストレス溜まった時かな。
我慢強いとよく言われますが、心の中では自己評価が下がりやすいので、切り替えしないとやってられないから、というのが真相でもあります。
だからたまーに精神的に落とすところまで落とそうとする人がいますが、切り替えの間を与えないと回復までかなり時間がかかり、仕事にもその内容にも影響しちゃいますね。
今の精神状態はおかげさまで良好と言えますが、自分の仕事に満足していないし、されてもいないと思っています。けっこう新しい刺激というか、目標がないとアドレナリンが出ないようなので、適度に自分に刺激を与えて、モチベーションを上げていく必要があるなと思ってます。
何より、周りの人の理解というのが、何より大切です。そういう人間関係でないと、仕事の能力がかなり落ちてしまいます。こればっかりは他力本願、という他ない。
他人より劣る部分を、オリジナリティな部分と周りの理解を得られるような、汗かき役という立場を、自分は作っていって居ます。
他方、援助する側としてその人が100%行動できる、力を発揮できる、意見を言える場、雰囲気を作っていくことが大切だと思ってます。駄目、っていうのはすごく簡単。なぜ駄目なのか、見下ろして考えてしまって、レッテルを貼ってしまうのはすごく簡単。そのバックボーンに何があるのか、というのを深めていかないと。
だから、古い人だと、昔のケース記録にはこう書いてあったな、ということを思い出して、援助することがあったりします。また利用の経緯とかも思い出しますね。
あんまり分析してしまうのは、失礼だと思う。というか、それを本人に話してしまうのは良くないかな、自分だったら、言われると、違った場合、そうレッテルを貼られた気分になって不快だ。
それをふまえた傾聴だとか、話し方、要は方法が大切になっていくのかなー。
ここまで、一気に書きました。
自分の考えが正しいかはわかりません。でも正しくない部分は修正できる自分も居ます。
今、高次脳機能障害に関する本を読んでいるのですが、脳障害というのは本意でないのにそうしてしまう、又は人から言われても修正できない、という面があるようです。
大まかな枠で言えば、知的障がいも精神障がいも脳障害の1つです。脳の病気の1つだと考えることができます。自分もその枠に入っているとも思います。
やっぱ障害があるから、健常者である人との考えが違って当たり前、というのが自然ではないでしょうか。
寄り添うとしたら、まずはその力がある健常者側であると思う。
障害ある人が努力することはできるけど、最終的に受け入れるのは健常者いかんだと思うのだ。
ここでいう健常者は、脳の障害がない、という意味。耳が聞こえないとか目が見えない、足が不自由だというのも障害なんだけどね。
それじゃあ、健常者って何なんだろう。ぶっちゃけ、普通な人なんてこの世にはいない、みんなオンリーワンなんだよね。
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他方、1人の人間としての自分は、社会人になってから社会の常識に苦しみました、困惑したという言い方の方が正しいかな。それまでの高校・大学の勉強では自分のやり方で覚えればokだったことが、自分のやり方を通せない社会人になって、人間関係の距離だとか、常識的なことであえて人に言われることじゃないこととか。けっこうそういうのがわからなくて、苦しみましたよね。
人間関係については、昔からありましたが、当たって砕けろ的な性格なので、学生時代の一人旅でだいぶ鍛えた分、うつになったとはいえ、自然な距離を作れるようになったと思う。
それでも、周りの人にとっては、自分には足りない部分が多いと感じているだろう。今まで職場を変えた経験はあって、たいてい最初の印象はいいんですよね。新しいことには興味が強いし態度は真面目だから。だけども慣れてくると成長の伸びがなくなって、もっとできると思っていたのにできないので、いろいろと言われる。それで自分のペースを乱されて、悩んでしまう。
周りの人は尚更いろいろ言ってみる、結局それがプレッシャーになり、辞めてしまったことがあった。
人から言われるいろいろな理屈というのは、はっきりいってわかるんですよね。わかっているんだけどできなくて、自分でも悩んでいるからへこむ。それでもアドバイスをくれるけど、結局は自分のペースで覚えるのが一番近道ではある。だけども、周りがそれを許してくれるとは限らない。
そんな自分に対しお前みたいな奴は嫌いだってはっきり言われたことは今でもはっきり覚えていますよ。
そんな自分が援助する立場として言えることは、まずその人の理屈を受け入れることがはじまりだと思います。その人のやり方、考え方を聞く姿勢を持つことですよね。
この段階で安易にその人の考えを否定して、例え正しいことでも自分の意見を押しつけてしまっても、聞く耳もたずが多いと思います。または聞いたふりして結局やらないとか。
その人が、常識とか、考え方とか、行動を変えるのは本人なんですから、最終的には本人に決断を委ねるようしていきたいですね。
最近目の不自由な人が利用者として来て、接するようになりました。実際仕事として接するのは実は初めてです。駅で困ってそうだなーっと思って、声をかけたことが数回あるぐらいで。
知識として、盲人のことはわかっているのですが、それでも間がわからないというのかな、確かめたしかめ、本人に聞きながら援助しています。
その人のやり方、というのを崩したくない、崩すならそれなりの理由が必要なはずなので。
知的障がいの人も、考え方というところで拘りが多いので、その人のやり方を変えるのはそれなりの理由が必要なはず。安易に否定してしまうと、反発するだけなので、どうしてそういう考えをするのか、行動をするのか、から考えないと根本的な解決にはならないですよね。
自分の話に戻りますけど、理屈はわかっているんですよ。だから間違いしたら謝るしかないと思ってます、逆ギレするのは余程ストレス溜まった時かな。
我慢強いとよく言われますが、心の中では自己評価が下がりやすいので、切り替えしないとやってられないから、というのが真相でもあります。
だからたまーに精神的に落とすところまで落とそうとする人がいますが、切り替えの間を与えないと回復までかなり時間がかかり、仕事にもその内容にも影響しちゃいますね。
今の精神状態はおかげさまで良好と言えますが、自分の仕事に満足していないし、されてもいないと思っています。けっこう新しい刺激というか、目標がないとアドレナリンが出ないようなので、適度に自分に刺激を与えて、モチベーションを上げていく必要があるなと思ってます。
何より、周りの人の理解というのが、何より大切です。そういう人間関係でないと、仕事の能力がかなり落ちてしまいます。こればっかりは他力本願、という他ない。
他人より劣る部分を、オリジナリティな部分と周りの理解を得られるような、汗かき役という立場を、自分は作っていって居ます。
他方、援助する側としてその人が100%行動できる、力を発揮できる、意見を言える場、雰囲気を作っていくことが大切だと思ってます。駄目、っていうのはすごく簡単。なぜ駄目なのか、見下ろして考えてしまって、レッテルを貼ってしまうのはすごく簡単。そのバックボーンに何があるのか、というのを深めていかないと。
だから、古い人だと、昔のケース記録にはこう書いてあったな、ということを思い出して、援助することがあったりします。また利用の経緯とかも思い出しますね。
あんまり分析してしまうのは、失礼だと思う。というか、それを本人に話してしまうのは良くないかな、自分だったら、言われると、違った場合、そうレッテルを貼られた気分になって不快だ。
それをふまえた傾聴だとか、話し方、要は方法が大切になっていくのかなー。
ここまで、一気に書きました。
自分の考えが正しいかはわかりません。でも正しくない部分は修正できる自分も居ます。
今、高次脳機能障害に関する本を読んでいるのですが、脳障害というのは本意でないのにそうしてしまう、又は人から言われても修正できない、という面があるようです。
大まかな枠で言えば、知的障がいも精神障がいも脳障害の1つです。脳の病気の1つだと考えることができます。自分もその枠に入っているとも思います。
やっぱ障害があるから、健常者である人との考えが違って当たり前、というのが自然ではないでしょうか。
寄り添うとしたら、まずはその力がある健常者側であると思う。
障害ある人が努力することはできるけど、最終的に受け入れるのは健常者いかんだと思うのだ。
ここでいう健常者は、脳の障害がない、という意味。耳が聞こえないとか目が見えない、足が不自由だというのも障害なんだけどね。
それじゃあ、健常者って何なんだろう。ぶっちゃけ、普通な人なんてこの世にはいない、みんなオンリーワンなんだよね。
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今回の研修を通じてなんとか実務につなげたいですね。
辛い経験、といYouhei宿直の後/レポート締め切り迫るすごいです! 初めまして。日本ブログ村からお邪魔しました恵と申します。
成年後見に関して、尽力されているお姿、パワフルですごいな…と同時に、他の記事も読ませてもらって、人恵わかっているんだよ、理屈は。>micayoel さんどうもはじめまして。
人間、普通って基準がどこにあるんでしょうね。
特別なところがあるから好き嫌いがあるはずなんですが。
普通でいようか、それともいいところを伸Youhei過去を振り返る、未来を描く>なつめさんはじめまして。いつも見ていただいてありがとうございます。
自分もぼちぼち、でも1日1日を大切に生きようと思っています。Youhei過去を振り返る、未来を描く度々お邪魔しています。私は現役のうつ病患者ですが何事ものんびりぼちぼち、が最近の信条です。なつめ